8月4~6日 原水禁 親子スタディツアー 広島での学習会に参加 爆心地は原爆ドームではなかった!?

原爆ドーム

8月4日~6日 広島での親子スタディツアーに「平和運動センター」の幹事団体の一員として参加しました。この2年間、コロナ禍のため実施できなかったのですが、今年は制限が緩和されたこともあり、実施を決定しました。

日程は8月4日(木)広島 碑めぐり、原水禁世界大会

8月5日(金)大久野島 フィールドワーク

8月6日(土)平和記念式参列

現在の島医院

平和についていろいろ学習してきたつもりでしたが、まず爆心地は原爆ドームではなかったことを知りました。広島の方々にとっては当たり前のことなのかもしれませんが、原爆の日になると放映される原爆ドームの印象が強くあの真上で爆発したとばかり思っていましたが、実際はこの島病院の上空600mのところで爆発したのです。

次に訪れたのは、本川小学校です。本川小学校に設置された平和資料館での説明が心に残りました。

本川小学校に設置されている平和資料館

本川小学校は、当時、建替えの時期で丈夫なしっかりした学校をということで鉄筋コンクリートの学校にしたところだったの残ったのだろうということでした。親から離れても大丈夫な高学年の子どもたちは疎開していて、8月6日に被害にあったのは、親と暮らしていた低学年の子どもたちがほとんどだったそうです。でも、疎開から戻った子どもたちは、家族を失った悲しみは相当なものがあったと思いますが、みんなに会えたということで学校が再開され、被爆の跡の残る教室で学習が始まったそうです。子どもたちの前向きなところに先生たち

当時の窓や焦げた跡がむき出しのまま保存されている

も元気をもらったということです。

その本川小学校を建て直すために地盤を掘り返したところ黒と白の7層の地盤が現れたのです。被曝した多くの人たちが亡くなるなか、そのままにしておけない遺体を校庭の大きな穴を掘って荼毘にふし、その臭いを消すために学校にあった石灰をまぶしてまたその上に遺体を乗せて焼く、黒い層は焼いた遺体の灰、白いのは石灰だということがわかります。7層あったということは、それだけ身元を確認することもままならないまま荼毘にふされた方々が多かったということです。

今でも本川小学校で平和に関する授業をしている方は、「みなさんの足元にはまだまだ大勢の原爆で亡くなった方々が眠っていることを忘れないで」と話すそうです。

このあとはトピックス へ

1日目(続)「平和公園内の様々な碑」 https://edogawa.seikatsusha.me/blog/2022/08/22/6991/

2日目 「地図から消された島」でフィールドワーク https://edogawa.seikatsusha.me/blog/2022/08/23/6999/

最終日 「平和記念式典」 https://edogawa.seikatsusha.me/blog/2022/08/24/7010/