広島 親子スタディツアー 2日目  「地図から消された島」は実在した!

人になれているウサギ

「地図から消された島」まるで小説にでも出てきそうな島ですが、実在したのをご存知ですか?

今は、以前この大久野島で飼われていたウサギが野生化し、繁殖して観光の名物になっているようですが、この島で日本が秘密裏に毒ガスの研究所と工場をつくっていたのです。1919年のベルサイユ条約ですでに禁止されていた毒ガス兵器をつくっていたので、そこで働いていた人たちは、何をしているかを家族に話すことも禁止され、大久野島も地図から消されてしまいました。忠海港からフェリーでわずか15分、周囲4kmの小さな島は、本土を走る列車からも見える距離でしたが、近くなると車掌が窓のブラインドを下ろしにきたりもしたそうです。

毒ガス資料館

大久野島で製造されていた毒ガスは、イペリットガスや青酸ガスなど呼吸困難や皮膚をびらんするような危険なものでした。戦時中に生産された毒ガスの液体は6,616t当時日本は風船爆弾を製造し、実際にアメリカまで飛ばしたのです。1945年、オレゴン州では、ピクニックにきていた数名の民間人が、危険なものと知らずに触って殺傷されたという事実もあったそうです。これを原子爆弾に応用できないかという研究もこの大久野島で行われていました。原爆を開発しようとしていたのは欧米だけではなかったのです。

当時毒ガスの開発も行われていた発電所跡

敗戦後の処理として、20,000缶以上の毒ガス缶が海洋投棄され、毒性の弱い毒ガスの入った筒は60万本以上が島の壕に埋め、コンクリートで密閉しました。一部の有毒物は焼却処分されましたが、毒性を消すために工場などの建物も火炎放射器で焼却されたのです。田畑豊かだったこの島では1996年に砒素汚染が発見され、万が一を考えて、飲料水はすべて本土から運んできているのです。

大型毒ガス弾の貯蔵庫跡

原爆被害を受けた広島のすぐ近くのこの島で、同じことをしようとしていた日本にも加害者としての面があったという事実に、戦争は人としての感覚を失わせるもので、本当にあってはならないものだと痛感しました。

毒ガス処理の火炎放射の跡はまだ残っている