3月、草の根の平和活動を続けています

 3月3日(日)、江戸川区平和運動センター主催の「江戸川慰霊碑巡り路地裏

大空襲で縦半分が焼失しながら、自力で見事に復活した宝積院(東小松川)の大イチョウ

行進」に参加しました。

 第二次世界大戦で、1944(昭和19)年11月14日以降アメリカ軍による東京への空襲は106回を数え、その内1945(昭和20)年3月10日、4月13日・15日、5月24日・25日の5回は大規模なもので、その中でも3月10日はアメリカ軍のB29戦闘機による超低高度・焼夷弾攻撃によって、深川地区・城東地区は一夜にして死者約10万人、負傷者約4万人、被災者約100万人、被災家屋約17万戸という最大の戦災犠牲となったのです。

 春先の突風を計算にいれた市街地を火災により壊滅するためのアメリカの作戦によって、東京の東半分、東京35区の3分の1の面積(41平方キロメートル)が焼失、焼夷弾にあたって命を落とした人よりも焼死、窒息死、川に逃げ込んで溺死、凍死した人が多かったといいます。江戸川区では平井・小松川一体が焦土と化したのです。

 毎年3月10日には戦災犠牲者を追悼し、平和を願うことを目的として追悼式が行われていますが、その前段として区内に残る東京大空襲の痕跡を巡り、慰霊の平和行進が行われ、江戸川ネットも毎年参加しています。戦災犠牲者を洗ったとされる古井戸がある北葛西の安楽寺をスタートして、東小松川3丁目の正徳寺の台座と足に炎で溶けた跡がある水子地蔵尊像、東小松川2丁目の宝積院の片面が炎で焼けたが自力で生き返った大イチョウ、西小松川町の仲台院にある炎で溶けた2体の庚申塔、東小松川2丁目の専福寺の犠牲者供養のために建立された平和観音像・戦火から奇跡的に免れた厄よけお堂、旧中川・ふれあい橋のたもとに建立された「鎮魂の碑」、終点は小松川3丁目公園にある焼失を免れた旧江戸川区役所文書庫・浄財で建立された「世代を結ぶ平和の像」で約3時間半にわたる行進でした。

 戦後生まれは総人口の75.5%を占めるほどになり、戦争を身をもって知る人たちも少なくなってきていて、だからこそ戦争の悲惨さを身近な地域で多くの人たちに語り継ぐことが益々必要だと思います。江戸川ネットは、命を守り、安心・安全に暮らせるまちづくりを目指します。(運営委員/古川久美子)