江戸川・生活者ネットワーク それゆけ!タイム 「教育勅語」学習会
ミニフォーラム『知っていますか?「教育勅語」』が、9月10日に開催されました。
講師の鈴木篤弁護士は、教育勅語の問題を語る前に、「道徳」とは何か?を時間をかけて話してくれました。
「道徳」について2つの考え方があるといいます。
一つは、自分の外側にある「社会のルール」を考えること。一つは、自分の「行為基準」について考えること。では、その個人の「行為基準」は誰が定めるのか? 何を目的に定めるのか? そして、なぜ「行為基準」というルールを守るべきなのか?
このように書きますと、とても難しい話であったかと思うかもしれませんね。しかし、鈴木弁護士は柔らかい語り口で、カントの定言命法なども資料で示され、道徳についての考え方を語ってくださいました。
自分の「行為基準」を考えるうえでは「自律」と「他律」があり、思考することのない中で決めた行為基準は「他律」であり、戦争や災害といった非日常の中において目を覆うような残虐な行動に結びついてしまいます。そうした行為は社会の支配的な考え方に思考停止して盲目的に従っているだけに過ぎないと。
過去の事例を挙げています。→731部隊、社会主義者を拷問にかけた特高や警察官、反戦思想だと隣人を密告した市民、関東大震災の時に朝鮮人を虐殺した日本人、などなど。(映画「サウンドオブミュージック」の中でトラップ家の長女リーズルの恋人ロルフも、リーズルに恋しながら、ナチスに傾倒しトラップ家の亡命を密告してしまいます)
人間は他者との関係抜きに人間であることはできません。自分の行為が他の人にとってどうなのか?自分の考えと他者の視点からの考えを対比して「何が正しい行いなのか」を判断していくこと。事実を吟味し、熟考し、未来に向けて考察する。自己中心的な認識を「思考」(表層から深部に向かって思考をめぐらす)する事によって、他者との関係の中で自分の立ち位置と行動規範を明らかにし、その中で得られるものがまさに「道徳」だと鈴木弁護士は語ります。
最初の3つの課題について、私はこの学習会で改めて学ぶことができました。
「個人の行為基準は誰が決めるのか?」個人が決めます。「何を目的に定めるのか?」他者との関係をよくし社会を豊かにするためです。「なぜ行為基準は守るべきなのか?」個人が幸せになるために守るのです。
そして「教育勅語」。
これは、明確に権力(天皇および天皇を戴く国家)による支配的な道徳律です。書かれている主文は天皇を戴く国家につくせということ。中にある「徳目」が良いことだという意見もありますが、父母に孝行をつくし(虐待する親にもつくすのですか?)、夫婦互いに睦び合い(DVの夫や妻にも従うのですか?)、うわべだけのお題目は今の時代に沿っていません。兄弟姉妹仲良く、友だちは大切に、広くすべての人に愛の手をさしのべる…こんなことは特段「教育勅語」を使う必要など、全くないのではないでしょうか。
ましてや、幼児に「チンオモウニワガコウソコウコクヲハジメルコト…」とか暗記させている事態は「狂気」としか思えません。
「道徳」の教科化が小学校で2018年度から、中学校で2019年度から始まります。先ごろ江戸川区においても来年度に導入される検定教科書が決定されたところです。
子どもたちが、豊かに他者との関係を「思考」することができるように、「おとな」として見守っていこうではありませんか。そして、自分も行為基準を常に「思考」できるよう、子どもたちと共に学びたいと思うのです。
運営委員 奈良由貴