沖縄視察報告 その3 宜野湾市内の現状
13日、朝から辺野古埋め立て地周辺を案内していただいた私たちは、午後に宜野湾市に移動。
午後のガイドの赤嶺和伸さんとの合流地点は、米軍提供地の市民駐車場。300台以上駐車できる広い土地で、管理しているのは社団法人宜野湾市観光振興協会。まず赤嶺さんからこの駐車場についての説明を聞く。以前、この駐車場が基地反対運動に使われているとして、米軍が突然閉鎖した事件があった。利用者の規制を厳しくすることを宜野湾市長の佐喜眞氏と米軍で合意し再開はされたが、あたかも米軍が好意で市民に提供してくれているかのような市長の発言に市民の抗議があった。米軍にお願いして借りているのではなく、米軍に提供した土地が利用されないまま、長年にわたり市民駐車場として使用してきた場所なのだ。
日米地位協定の第2条「3 合衆国軍隊が使用する施設及び区域は、この協定の目的のため必要でなくなつたときは、いつでも、日本国に返還しなければならない。合衆国は、施設及び区域の必要性を前記の返還を目的としてたえず検討することに同意する。」
その後、普天間基地のフェンスが目の前にせまる赤嶺さんの自宅に案内され、屋上から基地の中の滑走路(かなり傷んでいるのか波打っている状態が目視できる)を眺め、隣接する普天間第二小学校、普天間中学校、普天間高校などの位置関係を確認することができた。宜野湾市の地図を見れば誰でもわかることだが、普天間基地は宜野湾市の人口密集地の真ん中に存在する。宜野湾市役所も沖縄国際大学も基地の隣に位置している。
そして、普天間基地の周辺を車でツーリズム。
佐喜眞美術館→緑ヶ丘保育園(2017年12月米軍の落下物事件)→普天間第二小学校(2018年12月ヘリの窓枠落下事件、落下の風圧で飛ばされた小石で小学生が負傷)→まちの辻々にある石獅子(よくある2対のシーサーのルーツともいわれる魔除け)→普天満宮→返還されたキャンプ瑞慶覧跡地の公園
→「普天間居場所づくりプロジェクト」の子どもたちの居場所『そいそいハウス』
→宜野湾市役所(市役所前で行われた、沖国大ヘリ墜落事件14年目の抗議集会に参加)
宜野湾市は中心に普天間基地があり、ツーリズムは基地の周りをまわるような感じだった。
車中からフェンスの横で聖歌の合唱をする団体(毎週やっているそうだ)を見かけた。フェンスの中の米軍病院や芝生に囲まれたきれいな住宅、大きな敷地の学校、大型スーパーなど、説明を受けながら見学した。
最後に赤嶺さんの話の中で、印象に残ったものを二つ紹介したい。
〇すでに返還された土地から「ダウ・ケミカル」の名前が刻まれた大量のドラム缶が発見されている。まぎれもないベトナム戦争で使用された「枯葉剤」のドラム缶だ。米軍は基地内のいたるところに埋めているという話。その他にも基地の跡地からヒ素や鉛、PCBが漏れ出している。普天間基地でも100本以上のドラム缶が見つかっているという話があり、返還されても土地の汚染を調査し取り除くことが必要だ。原因は米軍にあるのに費用の負担は日本だ。
地位協定第4条「合衆国は、この協定の終了の際に日本国に基地を返還するに当たって、当該基地をそれらが合衆国軍隊に提供された時の状態に回復し、またはその回復の代わりに日本国に補償する義務を負わない」
〇普天間第二小学校の校庭から、隣の基地内に野球ボールやサッカーボールが入ってしまう事もある。小学生がフェンス近くを巡回している海兵隊と遭遇して、投げ返してもらうこともたまにあるという。しかしある時、入ってしまったサッカーボールを返してもらおうとしたら、子どもたちの目の前でポケットからアーミーナイフを取り出し、サッカーボールを何度もを切り刻んで投げてよこしたそうだ。
これが基地と暮らす日常なのである。 運営委員 奈良由貴